有島生馬 「物語まぼろしなりし・・・」
高遠町は、桜で有名なばかりでなく、絵島の流刑の地としても有名である。絵島は、江戸七代将軍
徳川家継の生母月光院に仕えた御年寄で、大奥で権勢をふるっていたが、役者生島新五郎と恋に
落ち、その咎によって、高遠に流刑となった。28年間囚われの身として高遠で過ごしたという。
その囲い屋敷が、昭和42年町立歴史博物館に隣接して復元され、観光客に公開されている。
彼女が恋に落ちたことの真偽はともかく、なんらかの政治的陰謀の犠牲になったことは想像に難くない。
そんな絵島を偲ぶ碑が、何基か建てられており、有島生馬の歌碑も、そのひとつである。囲み屋敷
の入り口に建てられている。
(絵島は、江島とも書かれていて、どちらが正しいのか)
木の塀の向こうにちょっとだけ見えているのが、囲い屋敷の屋根。
物語 まぼろしなりし
わが絵島
墓よやかたよ
今うつつなり 十月亭
(十月亭は、有島生馬の号)
長野県上伊那郡高遠町高遠町立歴史博物館