高浜虚子 「今朝は早薪割る音や月の宿」
長野県の姨捨山。「をばすて」と言う恐ろしい名称は、棄老伝説によるものであるが、
実際にこの地で棄老の事実があったかどうかは、はっきりしていない。が、こうした事が
正しく伝えられるわけがないし、民話の類であったにしても、姨捨という地名が在ること自体、
全くのフィクションではないだろう。そんな恐ろしい名にもかかわらず、いや、恐ろしい名で
あればこそ、悲哀と感傷をかきたてられる地となる。棄老伝説と、棚田に映る「田毎の月」の
景勝が結びついて、姨捨は、長野県第一の歌枕となってきたのである。
「古今和歌集」に「我が心 なぐさめかねつ さらしなや 姨捨山に てる月をみて」と詠まれた
ことから歌枕となったということだが、その人気を決定的にしたのは、芭蕉の「更科紀行」である。
「おもかげや 姨ひとりなく 月の友」 この句が「芭蕉翁面影塚」という名で建碑されるや、
姨捨は、句会ラッシュ、建碑ラッシュとなり、月の名所が、碑の名所になりかわったかのようである。
前置きが長くなってしまったが、虚子のこの碑は、碑の群れとは離れて、姨捨駅方句に山道を
すこし登ったところに、ひとつ、ぽつんとある。
これは、個人所有の碑で、碑の姿と、虚子の字がみごとに調和している美しい碑である。
今朝は早
薪割る音や
月の宿 虚子
個人所有の碑
長野県千曲市姨捨