松尾芭蕉が「更科紀行」の旅にでたのは、元禄元年(1688年)8月11日のことであった。「奥の細道」の旅は元禄2年の3月なので、その7カ月前ということになる。「さらしなの里、おばすて山の月見ん事、しきりにすゝむる秋風の心に吹きさはぎて、ともに風雲の情をくるはすもの、又ひとり越人といふ。」・・・の書き出しで始まる「更科紀行」の目的地は、姨捨であった。紀行文の大部分は「高山奇峰かしらの上におほひ重なりて・・・」木曽路の難路の記述である。

姨捨は平安時代から知られた長野県随一の歌枕である。「我が心慰めかねつ更科や 姨捨山に照る月を見て」(古今集巻17)この歌とともに老いた母や伯母を捨てるという棄老伝説が相まって、西行や芭蕉の心を誘った地である。

目的地、姨捨で8月15日の月見を果たしたあと、帰り道は更科、坂城、上田、小諸というコースで江戸に帰った。
この「大根からし」の句は帰り道の坂城で食べた辛い大根おろしを詠んだと言われ、この坂城の地に句碑がたてられているが、別説では、坂城ではなく、木曽から姨捨に至る途中での体験を詠んだとされている。
坂城町にはこの地で栽培されている特に辛みの強い大根があり、名物となっていることから、この碑が建てられたのであろう。



ホーム
文学碑・目次に戻る

身にしみて

大根からしあきの風

はせを

松尾芭蕉 「身にしみて大根からし秋の風」
       

長野県坂城町中之条 西念寺門前