no.349         木彫り教室に入会       2022.01.18

 

 木彫りを始めてから、もう15年も経過している。

15年も彫っていると、相当腕が上がっていると思われるがそうではない。何せ1/月の木彫り教室であり、年に12回しか講習を受けられない。本来なら予習とか復習を家で行っていれば、もう少し彫る機会が増えて腕が上がるというものであるが、なかなか家では木彫りが出来ない。

 

なぜなら、木彫りの木屑が部屋中に散らかるからである。この木屑厄介もので、掃除機や箒で履いても、履いても、部屋の隅とか机の下から出てくるのである。また作業着やエプロン、さらに靴下などに付着しており、居間やトイレに行った時に、木屑が落ちる。木彫りが終わった後は丁寧に各部屋を掃除するのであるが、必ずと言っていい程、「お父さん、まだ木屑落ちているよ、掃除しておいて」と勘高い妻の声が聞こえる。

だから、最初は張り切ってやっていたが、段々に億劫になり家ではやらないようにしている。

 

最初に入った木彫り教室は、農民美術会員の井出光夫先生であり、私より3才歳上であり、手取り足取り教えてもらった。初めての作品は壁掛けの「野ばら」と言う作品であるが、全然うまく彫れず先生の手が多く入っている。先生から「薔薇の花をじっくり見た事があるか」と聞かれ、見た事はあるが、写生とか、デッサンした事がなく花びらが何枚あるのか知りませんと答えた記憶がある。

すると「観察が大事だよ、花びらにせよ、葉脈にせよ、よく観察して下さい」とも言われた。たしかに目の前にあるものを彫るのなら、じっくり見てから彫れるのであるが、見本を見ながら彫っても現物とは違うものに、なってしまう気がする。想像しながら彫るものと現物を見ながら彫るものは花びらの数とか、葉っぱの大きさ色合いなど細部に違いが出てくる。そうかと言って冬に野ばらを見る事はほとんどなく、写真を見たり、見本の木彫り作品を見ながら彫るしかないのである。

先生には良く観ること、現物でも、写真でも、他人の作品でも良く観察する事、ただ見るだけではなく細部まで、観察する事を教わった。その先生もおととし、車の運転免許証を返納したために教室に来れなくなり、更に一昨年風の便りで亡くなった聞いた。

 

その後、教室は先生不在のまま、現在も同好会として好きな人達だけで続いているが、教えてくれる先生がいないのは技術の向上がなく寂しいものである。

 

そして、現在は農民美術の元祖である中村実先生の三代目に教わっている。この教室も以前、井出光夫先生に教わっていたが、先生が亡くなった後は、中村実三代目に教えを依頼して教室が成り立っている。私も先生不在は良くないと思い、この教室に入会し木彫りを勤しんでいる。

これから、この三代目先生からどんな事が学び取れるか楽しみである。

 

 
 
   

 

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