no.350         認知症の始まりか       2022.01.20

 

 机の上に毛布を掛けた水槽が置いてあり、布袋草が入っている。布袋草は池に入れたままでは、信州の冬の寒さに耐えきれず枯れてしまうという。そこで庭の池から布袋草だけを家の水槽に入れて枯れないように管理している。たしかに池はマイナス10度位まで下がり、分厚い氷が張ってしまうので、布袋草は枯れてしまう、家の中では、マイナスになる事はないが、摂氏10度まで夜間は下がるので夜は毛布を掛けて暖をとっている。

そんなある日、朝日が上がってきたので、水槽から毛布を取り除こうと部屋に行って見ると、毛布が取り除かれている。

「あれれ・・・」、妻が取り除いてくれたのだろうか。

それとも、昨日の夕方、毛布を掛けるのを忘れたのだろうか。

妻に聞くと、「その部屋には入っていません」と言うし、私も昨日の就寝時には、戸締りなどの点検し、毛布を掛けているはずである。

老夫婦の二人暮らしの家なので、妻が毛布に触っていないとすれは、犯人は私しかいない。私が昨夜の就寝時に、毛布をかけ忘れたのか、それとも今朝、太陽が上がる前に毛布を取り除いたのだろうか・・・・。記憶がないのである。

 

次の日、牛乳を飲もうとコツプを探すと、コップの底に牛乳が、わずかであるが残っている。

あれれ・・・・。「俺、牛乳飲んだっけ」と、朝食を用意している妻に聞くと「さっき、飲んでいたよ、忘れちゃったの」の返事。

「えっ、飲んだ」と思い返したが記憶がない。

「そういえば、電子レンジで牛乳を温めていた事を思い出した」と、言うと、認知症の始まりよ、よく思い出して・・」と、返された。

さっき牛乳を飲んだはずなのに、記憶がないのである。たった10分とか20分前に飲んだ事を忘れているのである。でも、電子レンジで牛乳を温めていた事は思い出したのである。こんな事があるだろうか、たった10分前に行った自分の行動が忘れ去られている。しかも口から喉に入り、胃の中に入った牛乳の一連の行動そのものものが忘れられている。どうしたんだ、俺は・・・・・。

 

家の裏の道を、いろいろの車が頻繁に通る。

買物の時もあり、銀行に行く時もあり、郵便局もあり人それぞれである。そんな車を眺めていると、「この時間だと智ちゃん、買物に行ったね」と妻がいう。いやまだ智ちゃんは通らない」と俺が言うと、「今さっき、通って行ったでしょう。あんなに目立つ車が目に入らなかったの」と、聞かれてしまつた。

「何を見ているの、ただぼっーと見ているだけなの」と言われる始末。確かに黄色の車は目立つので目に入らないはずはないのであるが、見えていないのである。若い頃は、見た車全てが記録に残っており、黄色のクーペとか、赤のセダンとか、山田君の車とか、あえて認識しなくとも、一瞬見ただけで、記憶に残っていたものが、今では目では見ているようであるが、実は脳は記録に残していないのである。

 

毛布を掛けた事を忘れたか、取り除いたのを忘れたか。

たった今、牛乳を飲んだ事を忘れたのか。

派手な車を見たけれど、記憶に残っていない。

 

どうなっているのだろう。自分が手を下した行動が記憶に残っていないのである。

見たものが記憶に残っていないのである。この分だと「聞いた事も、聞いた記憶にございません」なのだろう。

 

たしかに記憶力がなくなっている。

それとも認知症の始まりなのだろうか。

 

 
 
     
     

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