速水御舟『炎舞

目次に戻る

余談 

 蛾の一種のカイコは、家畜化して飼い馴らされていくうちに成虫になっても、翅は退化し飛ぶことができなくなってしまっている。飛ぶ力を失ったカイコの成虫は、天敵から逃れる術を失い、自然のなかでは生きていけない。ニーチェの言葉を捩っていえば、「飛翔できない蛾は滅びる」である。では、家畜化した大衆の運命は?

炎の部分の拡大
『赤不動』(高野山明王院蔵)
蝶の仲間に蛾がいる。違いは、一般的に言って、蝶は昼行性で色鮮やかで美しいといえるし、蛾の方は夜行性で地味な色で美しいとはいえないだろう。しかし、速水御舟の『炎舞』に描かれている蛾は実に美しい。渦を巻くように下から上へと舞い上がる炎。その炎の光に引き寄せられるかのように、炎の渦の先端に群れ集まり乱舞している蛾たち。炎の舞に合わせて踊っているかのようにも見える。『炎舞』に描かれた炎は、例えば高野山明王院蔵の不動明王画像などに描かれているような、迦楼羅炎のようにもみえる。迦楼羅炎とは迦楼羅天の口から吐き出される炎で、それによって衆生の煩悩は焼尽されるとされる。夜行性で闇の中でしか活動しない蛾が、迦楼羅炎の光に憧れ引き付けられ、その炎に身を焦がし、浄化されて、透き通るように白く、美しく変容している。『炎舞』はその光景を描いているとみれば、『炎舞』は、仏の像が描かれていない仏画ともいえるだろう。



蛇は脱皮しても変態しないのに対し、蝶は幼虫から脱皮を繰り返し蛹へと変態し、殻に閉じ籠りじっと静止した状態を保った後、脱皮、羽化して蝶へと変態していく。翅を持って空中を自由に飛び廻る蝶の姿は自由を象徴するかのように見える。

ゴッホの『刑務所の中庭』には二匹の蝶がまさに自由を象徴するかのように描かれている。そこは四方をレンガの壁に囲まれたまったくの閉鎖空間である。その狭い閉鎖空間の中、大勢の囚人たちは、輪を成して、下を向き、黙って、歩いている。同じ場所をぐるぐる巡るその運動は、ニヒリズムの具象化といえよう。床に映る囚人たちの影が放射状に床に映っていることからすると、上方だけは開放しているのだろう。その開放されている上方を目指して二匹の蝶が舞い上がっている。二匹の蝶はニヒリズムに囚われた囚人たちの自由への魂の憧れを象徴しているかのようにもみえはしないだろうか。

ゴッホの蝶、御舟の蝶

ゴッホ『刑務所の中庭』