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ドイツのルネッサンス期の画家デューラーの三大銅版画とされる作品に『聖ヒエロニムス』(1514年)、『メランコリアⅠ』(1514年)、『騎士と死と悪魔』(1513年)という作品がある。ヒエロニムスは聖書のラテン語訳をした教父として知られる。デューラーの『聖ヒエロニムス』では、そのヒエロニムスが修道院の一室と思われる静謐な部屋で、机の前に座して、視線を机の上に落として聖書の翻訳に没頭しているところが描かれている。画面手前にはヒエロニムスが刺を抜き救ってやったというライオンが寝そべっている。
聖ヒエロニムスが室内で坐しているのに対して、『メランコリアⅠ』の「憂鬱」の擬人化した「天使」は戸外に座している。天使は頬杖をついて思索に没頭しつつも、鋭い視線を前方へと放ち、自然を鋭く観察しているように見える。手には、距離を測るコンパスが握られ、背後の壁には、時間を計る砂時計と重さを量る天秤が懸けられている。『メランコリアⅠ』の画面には、その他、魔方陣、多面体、球も見られる。これらの道具立ては、自然を数と幾何学的図形とによって捉えようとする近代の科学的精神を示唆しているかのようである。しかし、『メランコリアⅠ』の天使は単に自然を観察、観測するだけではない。その擬人物の周りには、かんな、のこぎり、かなづち、くぎなどの大工道具も描かれている。『メランコリアⅠ』の天使は、自然を客観的に観察、観測するだけにとどもらず、それ基づいてさらに企画を立て、これからこれらの大工道具を使って何かを製作しようと思案しているようにもみえる。そうだとしたら、その擬人物の鋭い視線は外なる自然へと投げかけられているだけでなく、将来に向けても投げかけられているといってもよいかもしれない。しかしその将来は明るく開けたようにはみえない。黄昏の不気味な光芒のなかに、コウモリが飛び立っている。コウモリは伝統的に「憂鬱」と結びつれられている。ヘーゲルの有名な言葉に「ミネルバのフクロウは黄昏と共に飛び立つ」という言葉があるが、黄昏と共に飛び立つのは、なにもミネルバのフクロウばかりではない。「憂鬱」の象徴たるコウモリもまた、黄昏とともに飛び立つのである(ラテン語の「コウモリ」vespertitioは「黄昏」vesperに由来する)。
『聖ヒエロニムス』では「観想の生活(bios theretikos)」の人物が、『メランコリアⅠ』では「製作の生活(bios poietikos)」の人物が描かれているといえるとしたら、『騎士と死と悪魔』で描かれている人物(騎士)は、「実践の生活(bios praktikos)」の人物が描かれているといえるであろう。前二作に描かれている人物がいずれも坐り込んでいるのに対して、『騎士と死と悪魔』の騎士は馬にまたがり、自らの道を歩んでいる。
この騎士についてニーチェはその処女作『悲劇の誕生』(1872年)で、「絶望した孤独者は、自分の象徴として、デューラーが我々に示した死と悪魔とを伴った騎士以上にいい象徴を、ここで選ぶことはできないであろう。それは、甲冑を鎧い、自分の恐るべき同伴者たちに惑わされることなく、しかも何らの希望も抱かず、ただ馬と犬だけを伴って、青銅のごとき厳しい眼差しをもって、自分の戦慄の道を突き進むすべを心得た騎士である。」(第20節)と、述べている。
要するに、ニーチェはこの銅版画の騎士に、絶望のなかから再生の道を辿る精神の象徴を見て取ったのであった。しかし、絶望の荒野を突き進む騎士は、突然その荒野に於いて再び変容する。それは『悲劇の誕生』によれば、「ディオニュソスの魔力」に触れられた時である。その時、世界は「奈落から金色に輝く光の下に立ち昇り、かくも完全かつ蒼々と、かくもはち切れんばかりに生き生きと、かくも憧れに満ちて果てしないかのように」変容するという。このような時の到来を信じ、ニーチェ自身がデューラーの騎士のように自らの荒野を突き進み、生きていった。そして、その16年後、ニーチェはその時を迎えたのであった。 その時についてニーチェは遺稿の自伝『この人を見よ』で次のように言い表している。
「そこでは、すべてのものが熟するのであって、熟れて褐色になるのはぶどうだけではない、この完全なる日に於いて、まさしく太陽の眼光が私の人生の上に降り注いだ。すなわち、私は振り返って見た、私は外へと目を向けて見た、私はかくも多くの、かくも善きものを一挙に見たことはなかった。」
このように、それまでの人生を振り返り、「これが生であったのか? よし! もう一度!」と、その生を将来へと企投しようと決意するニーチェの視線の先には、一体どのような将来が開けていたのだろうか。しかし、『この人を見よ』の刊行を俟たずしてニーチェは狂気の淵に落ち込こみ、今となっては我々には知る術もない。

ニーチェの死の5年後の1905年、スウェーデンの銀行家エルネスト・ティールからニーチェの肖像画を描くようにと依頼された表現主義の先駆者ムンクは、部屋の中で丸テーブルに頬杖をつくニーチェの姿を下書きとして描いた。そのポーズ、目つきともに、デューラーの『メランコリアⅠ』の人物を我々に髣髴させる。そのニーチェの視線の先に見えるのは単に「偶像の黄昏」の光だけであったのだろうか。それともニーチェの視線は「偶像の黄昏」を射抜いて、その先に数多の曙光が兆すのを看て取ったのだろうか。
二―チェの『曙光』の扉には「まだ輝いたことのない許多の曙光あり」というリグ・ヴェーダから引用したエピグラフが掲げられている。

圓増治之著 『ニーチェ……解放されたプロメテウス……』(1990年刊、現在は、講談社学芸アーカイブ、創文社オンデマンド叢 書『ニーチェ ……解放されたプロメテウス……』 講談社学芸アーカイブに所収)の第二部第三章「ニーチェに於ける『メランコリー』を参照してほしい。