

ニーチェの処女作『音楽の精神からの悲劇の誕生』はヴァーグナーの楽劇を死せるギリシア悲劇の再誕とみなし、讃えるために書かれた。
この本の扉には『解放されたプロメテウス』の図が装幀画として掲載されていた。プロメテウスは、ギリシア神話によれば、巨人族の一人で、野生の人間の悲惨な生活を憐れんで、天上から神々の火を盗んで人間に与えたという。これに怒ったゼウスはプロメテウスをカウカソス山の山頂に鎖で縛り、大鷲にその肝臓を啄み喰わせた。しかし、夜の間にプロメテウスの肝臓は再生したので、プロメテウスは死ぬこともなく、肝臓を啄まれる苦痛は、死をもって終わることなく、生死を超えて永遠に続くかのように思われた。しかし、ずっと後になって、英雄ヘラクレスが現れ、大鷲を射おとすにおよんで、やっとプロメテウスは解放されたという。
この神話に擬えて、ニーチェは、生の根源に存する生死を超えた生の苦悩から生を解放するヘラクレス的力を、ヴァーグナーの芸術に期待し、『音楽の精神からの悲劇の誕生』を著わしたのであった。
しかし、その4年後に刊行した『反時代的考察』のなかで、ニーチェは「(ヴァーグナーの本性を)熟視する者は、流れ‐超え出るヴァーグナーの本性に一見服従するかのように見えるが、そのことによってその熟視者自身その力に与っており、かくしていわば彼を通して彼に対立するまでに力を得ているのである」と語っている。ヴァーグナーを通して得た力によってヴァーグナーに対決するようになったというのであった。その対決を通し、ニーチェは自分の内にあるヴァーグナーを超克し、言い換えれば、「自己=超克」し、脱皮して変容し、別個の人間と成って、数千に亙るヨーロッパの伝統の善悪の束縛、あるいは、理念の束縛から抜け出したのであった。では、解放されたプロメテウス=ニーチェは一体どのような人類の未来を見たのであろうか? 『ニーチェ・コントゥラ・ヴァーグナー』の公刊を待たずしてニーチェの精神は崩壊し、我々はもはやそれを知ることはできない。
夕陽に見惚れる狂人ニーチェ
偶像の黄昏の先にニーチェが見たのは一体どのような光景であったのだろうか?
*ヴァーグナー対ニーチェについて詳しくは下記の本を参照されたい。
圓増治之著 『ニーチェ……解放されたプロメテウス……』(1990年刊、現在は、講談社学芸アーカイブ、創文社オンデマンド叢書に所収され ている。『ニーチェ ……解放されたプロメテウス』– 講談社学芸アーカイブ)

ハイデッガー全集の既刊著作のなかで最大の大部の著作は上下二巻の『ニーチェ』である。その序言でハイデッガーは語っている、「本書は、1936年から1940年までフライブルク大学で行った講義からなる。これに諸論文が付け加えられている。これらの論文は1940年から1946にかけて成立した。先の講義は、それぞれまだその途上とはいえども、相互‐対‐決の道を切り開いたが、その道をそれらの諸論文はさらに発展させている。」、と。ここでは「対決(Auseinandersetzen)」という語は連辞符で区切った「Aus-einander-setzen」という語が用いられている。連辞符で区切ることによって、この語は、単なる「対決」ではなく、対決相手に「互いに(einander)」身を「曝す(Aussetzen)」というようなニュアンスを帯びてくる。『ニーチェ・コントゥラ・ヴァーグナー』を代表とするニーチェの思索それ自体すでに西洋の形而上学の歴史との「相互‐対‐決」であったが、そのニーチェの思索の事柄の内へとハイデッガーは自らの思索を立ち入らせ、身を曝せ、身をもって西洋の形而上学の歴史から脱却して、新たな思索の道を切り開こうとしたのであった。
そのハイデッガーが新たな思索の元初として求めたのが、ソクラテス以前の西洋哲学の元初のアナクシマンドロス、パルメニデス、ヘラクレイトスの思索であった。しかし、黄昏を迎えたアーベントラント(西洋)の形而上学の歴史の超克の道の元初を西洋の形而上学の歴史の始まり以前の西洋の哲学者たちの思索に求める必要はないのではないだろうか。むしろ東洋の宗教思想の元初に求めたほうがよいのかもしれない。
* ハイデッガーの『ニーチェ』は現在、東京大学出版会からオンデマンド版『ニーチェⅠ』、および『ニーチェⅡ』として刊行されている。参照されたい。