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                         大乗遊戯の場・・・一遍の場合・・・       

                                                   『一遍聖絵』第7巻第3段




 
一遍の場合、「大乗遊戯」は踊り念仏という形態で行われた。『一遍聖絵』 で描かれた踊り念仏は、初めて踊り念仏が行われた信州佐久の場面以外は、すべて「踊り屋」で行われている。それらの「踊り屋」のなかで一際立派なのは京都市屋で挙行された時の
ものである。高床式の二階屋で床下には斜交いが組まれ、床を踏み鳴らして跳びはねる激しい踊りに耐えるように造られている。しかし、屋根は薄い板で葺き、補強木材は、運搬時に使う「えつり穴」がついたまま、使われているし、棟の板は紐で縛っただけである。踊り念仏が終わればすぐに解体して撤去できる造りになっている。

  (図中の矢印は「えつり穴」を指し示している)


                                       『一遍聖絵』第7巻第2

堀川は東市の西に位置していたということである。してみれば、『一遍聖絵』7巻第3段の図は画面左が東、右が西ということになる。画面左の堀川では男たちが画面上から下へと川の流れに逆らって筏を引き上げている。堀川は北から南へと流れていることからすると、画面下が北、画面上が南ということになる。一段前の7巻第2段の図では四条大橋の西に位置する釈迦堂は、四条大橋の左に描かれており、画面右が東、左が西ということになる。また、橋の下の加茂川は上から下へ流れているように描かれており、画面上が北、下が南ということになる。つまり、第7巻第2段では、南から見上げた構図で描かれていた。これはよくある空間構図である。しかし第7巻第3段では一転してこの構図を180°回転させ、北からの視点で描かれている。 それでは、第7巻第3段で南が上、北は下、東は左、西は右と構図が一転して変わったのは何故であろうか。
 絵巻物は、左側を開いて画面を右から見ていくようになっている。これに応じて絵巻物ではそこに描かれる絵も右から左へと時間の流れに沿うように描かれていることがある。

 当時、北山で切り出された木材は筏を組んで堀川を流れ下り、東市で揚陸され、そこで取引されたという。しかし、図で描かれているのは、川の橋桁を高くして下を筏が通れるようにした橋の下を、屈強な男たちが筏をくぐらせて川上に向かって引き上げている光景である。この光景が、市屋の踊り念仏の興行の光景の左に描かれているのは、それが市屋の踊り念仏興行が打ち上げられた後の光景であったからに相違ない。そうであるとしたら、市屋の踊り屋を解体した木材を筏に組み「えつり穴」に縄をかけ川上に運んでいるところが「異時同図法」で描かれているといってよいであろう

一遍は京都市屋での「大乗遊戯」の舞台を「道場すべて無用なり」(『百利口語』)とばかり捨て去ったのであった。