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……一遍上人と法燈国師の問答……

『一遍上人語録』に、一遍上人が臨済宗法燈派の祖法燈国師に参禅した折、「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏の声ばかりして」と歌を詠んだところ、法燈国師に「未徹在」と言われ、再度、「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏」と詠み直したところ、印可を与えられたという話が載っている(一遍上人と法燈国師の問答については別表の通り諸説ある)。法燈国師は、宋で無門慧開から『無門関』を授かり、日本に持ち帰った僧として知られる。一遍上人はその『無門関』で説かれているところの「遊戯三昧」の境地を、「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏の声ばかりして」と歌ったのであった。これに対し、法燈国師は「未徹在」と語ったという。南無阿弥陀仏を称えていると「仏もわれもなかりけり」と上の句で歌いながら、下の句で「南無阿弥陀仏の声ばかりして」と歌ったのでは、南無阿弥陀仏を唱えている「われ」はなくなっても、「南無阿弥陀仏の声」を聞いている「われ」が残存していると、このように法燈国師は一遍上人のこの歌を解したのであろう。しかし、一遍上人からすれば、「南無阿弥陀仏の声ばかりして」と「南無阿弥陀仏の声」しか聞こえないことに於いて、すでに「われ」の自己放棄は成就しているのである。「南無阿弥陀仏の声」は「こころは西にうつせみのもぬけはてたる」涼しき声、心身脱落の境地に聞こえてくる声である。それでは、その声を聞いているのは、「我」でなければ、何者であろうか。
一遍上人曰く『聞名欲往生』といふこと、人のよ所に念仏するをきけば、わが心に南無阿弥陀仏とうかぶを聞名といふなり。しかれば名号が名号を聞なり。名号の外に聞べきやうのあるにあらず。」(「門人伝説」70)、と。南無阿弥陀仏の声を聞いているのはその声の主、南無阿弥陀仏であるというのである。人のよ所に念仏するをきけば、即わが心に南無阿弥陀仏とうかび、そしてわが心に南無阿弥陀仏がうかびぬれば、即かならず口に南無阿弥陀仏が称せらるるなりである。南無阿弥陀仏を聞いているのが、南無阿弥陀仏なら、南無阿弥陀仏を称えているのもまた南無阿弥陀仏なりといえるのである。すなわち、一遍上人の言葉を借りれば、「念仏が念仏を申なり」(「門人伝説」16)である。したがって、聞名即念仏、念仏即称名、称名即聞名と言ってもいいかもしれない。「南無阿弥陀仏の声ばかりして」の「南無阿弥陀仏の声」とは、南無阿弥陀仏が南阿弥陀仏と称える声であり、南無阿弥陀仏が聞いている南無阿弥陀仏の声なのである。「南無阿弥陀仏の声ばかりして」と歌われた場において、無くなっているのは仏とわれだけでない。「南無阿弥陀仏」の声以外は何もない。逆に言えば、「よろづ生としいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも」、要するに有りとあらゆるものが「南無阿弥陀仏」として声に出、「南無阿弥陀仏」の声において「南無阿弥陀仏」として現成しているのである。
「打ちあげ打ちあげとなえ」て「仏もなく我もなく、まして此内に兎角の道理もなし」となった時、そこに出現するのは何であろうか。「南無阿弥陀仏の声ばかりして」と言って誤解をまねくというのであれば、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」というより他はない。
そこで、一遍上人は改めて「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏」と詠んだのであった。この下の句「南無阿弥陀仏なむあみだ仏」と詠み上げる一遍上人の声、いや「南無阿弥陀仏」の声を聞くや否や法燈国師の心に南無阿弥陀仏が浮かんだにちがいない。そして即法燈国師の口に南無阿弥陀仏が称せられたにちがいない。それはもはや「南無―阿弥陀―仏」と、あるいは「南無―阿弥陀仏」と分節して解釈されることのない「機・法・覚」一体の「南無阿弥陀仏」である。赤子の誕生の瞬間の未だ分節せざる「オギャー」という産声は生死以前の生死なきところから発せられるが、今一遍上人の口から、そして法燈国師の口から発せられた「南無阿弥陀仏」の声は生死を越えた生死なきところから発せられたものであった。それは『無門関』で「生死の岸頭に於いて大自在を得、六道四生の中に向いて遊戯三昧」と言い表されたような、遊戯三昧の生へと変容した生の誕生の産声であったともいえよう。あるいは六道四生に迷う生が六道四生の中に向いて遊戯三昧なる生へと変容した瞬間の歓声ともいえるかもしれない。
『無門関』第1則に、無の字の関を透った者は、「歴代の祖師と手を把って共に行き、眉毛̪厮結んで同一眼に見、同一耳に聞くべし。豈に慶快ならざらんや。」と述べられているが、この文句を捩っていえば、法燈国師と一遍上人、共に「手を把って共に行き、眉毛̪厮結び」、同一口に南無阿弥陀仏と称え、共に「慶快」なりであったであろう。
一遍上人の「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏」の歌を聞いて、法燈国師は印可の証として一遍上人に手巾・薬籠を与えたという。
『一遍聖絵』では、初めて踊り念仏を踊る様子が描かれた信州小田切の里の場面でも、また初めて踊り屋で踊り念仏を踊る様子が描かれた鎌倉郊外の片瀬の浜の場面でも、また最大の踊り屋で最大の盛り上がり見せた京の都の市屋の場面でも、いずれも踊る一遍上人の腰では手巾が踊っているところが描かれている。それは、あたかも一遍上人の「遊戯三昧」の躍動が具象化しているようにみえはしないだろうか。
小田切の里での一遍上人 片瀬の浜での一遍上人 京の市屋での一遍上人


