

十三歳から十二年間太宰府の聖達に師事して仏教修行した一遍上人は、父の死にあって伊予に帰って還俗した。しかし七年後再び出家することになったが、その原因となったのは『一遍聖絵』によれば次のようなものであった。ある時一遍上人が子供と輪鼓で遊んでいた時に、輪鼓が地面に落ちて回転が止まった。これを見て一遍上人は思った。輪鼓は人がこれをまわせばまわるが、まわさなければまわらない。輪廻もこれとおなじだ。輪廻は(身体)(言語)(心意)のはたらきによってわざわざつくりだされたのであって、したがってこのはたらきが止まない限り、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道を輪廻して止むことはない。未来の生死に輪廻するのも、我身の身口意の自業自得ということになる。したがってもし身口意の自業がとどまるならば、輪鼓が廻るがごとく六道に輪廻することも止まざるをえない。このように思いいたった一遍上人は、輪廻を脱するために、さっそく家を捨て、故郷を捨て、旅にでたのであった。さらにその旅先の熊野では同行の妻子をも「はなちすてる」。以後一遍上人は捨てることに徹した。そして、一切を捨てて念仏を称えることに徹したのであった。
一遍上人によれば、一切を捨てて念仏を称えれば、仏も我もなくなる。仏と我というような区別があることで、その間にあれこれの道理、分別が入ってきて、善だの、悪だのという区別がうまれる。仏も我もなくなれば、そのような分別の入ってくる余地はない。この世界は善きにつけ悪きにつけことごとく浄土である。この世界以外に求めるべきものはないし、この世界を厭うてはならない。この世界で生きているもの、山河草木、吹く風、立つ浪の音にいたるまで念仏でないものはない。人間だけが世にたぐいない弥陀の本願に預かっているのではない。草木の一本一本にいたるまで南無阿弥陀仏の名号が偏在しているのである。
普通よく説かれる西方浄土は、善行、あるいは厳しい修行を積んだ人や信心の篤い人が死後に行くことのできる世界であり、そこでは絢爛たる宝楼珠閣がたち、芳香がただよい、美しい楽の音が流れ、天人が舞い踊り、阿弥陀仏のありがたい説法を聞くことができるという。しかし、一遍上人の説く「浄土」はこのような死後のあの世の世界ではなかった。一遍上人にしたがえば、私たちが一切のことをうち捨てて念仏を称えるなら、いま現在の山河草木、吹く風、立つ浪のことごとくが、唱和して念仏を称え、南無阿弥陀仏となって現れ、私たちが現に生きている世界が、そのままで浄土に変容するというのであった。それはまさに「念仏三昧」ともいうべき世界である。
山河草木、吹く風、立つ浪といった自然のことごとくが南無阿弥陀仏となって、南無阿弥陀仏を唱えているところ、そこはまさに南無阿弥陀仏と南無阿弥陀仏とが遊び戯れているかのようなところである。そこへ身も心も捨て入れて南無阿弥陀仏を唱える。それは山河、吹く風、立つ浪、よろず生きとし生けるものと遊び戯れ、よろず生きとし生けるものとともに南無阿弥陀仏を唱えているかのようにもみえるであろう。その世界はまさに「遊戯三昧」の世界ともいえるのではないだろうか。


しかし、「遊戯三昧」という言葉は、『一遍上人語録』でも『一遍聖絵』でも見いだせない。これに対し、「遊戯三昧」という言葉は禅仏教では古くから悟りの境地を表す言葉として好まれて用いられた。禅仏教で「遊戯三昧」の世界に至る道は、もちろん自力修行の「参禅」ということになる。自力で道を窮めることは誰もが容易になしうるようなことではない。自力で「禅三昧」の世界に入るには苦しい修行が必要とされる。しかし、自力の道は、例えば「慧可断臂」の故事に見られるような難行の道であり、その難行に耐えたものだけ[遊戯三昧」にあずかることができるとされるのであった。
念仏門の他力の道もやはり同じような「遊戯三昧」の世界に通じる。一遍上人の「聖道浄土ことば異なりといへども、詮ずるところこれなり」という言葉にもあるように、聖道門は自力の行、浄土門は他力の行という違いだけで行き着く先はおなじ「遊行三昧」の世界であるといえるだろう。しかし大多数の人は、難行の道をいくのに耐えうるほど強くはない。したがって、「吾等ごときの凡夫は、一向称名のほかに、出離の道をもとむべからず。」ということになる。逆に言えば、ひたすらに念仏を称えさえすれば、私たち凡夫といえども、「遊戯三昧」の世界にいることが許されるということになるというのである。ひたすらに念仏を称えるのは「田夫野人・尼入道・愚痴・無智」にいたるまで誰にでもできることである。いわゆる易行である。誰であれひたすらに念仏を称えるならば、貴賤高下の隔てなく誰もがともに「遊戯三昧」の世界にある。その点で、自力で開かれた「遊戯三昧」のような、孤高に遊ぶといった「遊戯三昧」とは大きく異なる。
他力にひたすら身をまかす念仏三昧には周りの人をそのうちに巻き込む力がある。その力こそ他力の力である。そのようにして開かれた「遊戯三昧」の世界で人々はともに踊躍し、ともに「法界にあそぶ」ことができるのであった。 かくして、一遍上人の踊り念仏は全国各地で多くの民衆を巻き込んで広がっていったのであった。かつて一遍上人は回転する輪鼓が地に落ちて止まったのを見て、自業がやめなければ輪廻もやむことがないと悟って出家したのであったが、今や一遍上人の始めた「踊り念仏」に於いてひとり一遍上人のみならず、そこに集まったおおくの道俗の民衆があまねく輪廻を脱し、「法界にあそぶ」ことができたのであった。その意味で「踊り念仏」こそまことに「大乗遊戯」というにふさわしいということができるだろう。


しかし、今日私たちは科学技術の力によって一遍上人の生きた時代とは比較にならないほど大きな業に業を重ね生きている。その結果、地球の温暖化、原発事故、環境破壊などの負の報酬を自業自得的に受けとらざるを得なくなっている
近代科学技術の時代前夜ともいうべき19世紀末のヨーロッパ、「神」の束縛を解かれた人間は無限の可能性の内に投げ出され、進むべき方向を見失ってしまった。そういう時代状況の中で、哲学者ニーチェは、人間は無限の可能性のうちで偶然との戯れによって新たな価値を創造できるような「遊戯三昧」の世界に強くあこがれたのであった。
しかし、今日巨大科学(giganic science)の時代には偶然がもたらす出来事、すなわち事故ほど恐ろしいものはない。今日では自然がもたらす「禍」以上に人間が自業自得的に招く「禍」が恐ろしい。このような時代にあって、なお私たちは一遍上人の時代のように「踊り念仏」によって「遊戯三昧」の世界に入ることができるのだろうか。